
昭和初期、正月元旦 |
澤田屋は、江戸時代末期より石和町に於いて代々、菓子の卸売りを業としておりましたが明治40年、石和町に笛吹川の大水害があり被災したので甲府市柳町に移転し、商売を継続致しました。
明治44年、当主、早川半次郎の女婿、早川智義が桜町(現在の中央店の場所)に、小売部を開業し生菓子(和菓子)の製造小売を始めたのが、現在の澤田屋の始まりです。
大正6年、早川智義は九州に移住し、実兄塚原正義がこれを継承しました。毎朝、市内を東西南北の四方面に分けて、一軒一軒御用聞きにお伺いし、午後は頂いた注文の品を大八車に積んでお届けするという様に新製品開発の努力、吟味された原材料による製品づくり、地道な営業活動が次第にお客様に浸透するに至りました。

昭和9年店舗外観 |
特に、昭和4年「くろ玉」を考案発売しこれが爆発的な売行きを見せ、75年後の今に至る迄、ロングセラー商品となっております。その後、「これはうまい」等のヒット商品も登場し、昭和9年には、3階建のビルを新築し甲府で最初の洋菓子製造開始と共に、レストランを開店しました。

山梨高等工業学校(現在の山梨大学)の学生
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山梨高等工業学校(現在の山梨大学)の学生や49連隊の兵士で賑わい、毎週土曜日には土曜コンサートを開きクラシック音楽の愛好者が集まりました。又、レストランでお見合いをすると、縁談がまとまり縁起が良いと言われたり、クリスマスには、ディナーが催され何百もの七面鳥を料理致しました。
しかし、支那事変、太平洋戦争の進展に伴い原材料の統制が次第に拡大して営業継続が困難になり昭和19年企業整備令の施行に伴い閉店の止むなきに至りました。店舗も昭和20年7月6日の空襲で焼失しました。
戦後昭和22年、営業を再開し、原料統制の解除に伴い次第に販売も活発になり、昭和28年2月、株式会社に改組し、塚原敏夫が社長に就任しました。

甲府駅前店 現在 |
昭和46年、本社を向町(現在地)に移転し、その間、「ごるふまん」「一葉つれづれ」等、時代に適応した菓子を発売するとともに昔ながらの味を守る伝統のくろ玉や、お客様の嗜好の変化に対応する洋菓子を発売し更に、市内4ヶ所のレギュラー店の外、テナント出店数点、フランチャイズ店数点の出店を展開、現在に至っております
創業時(明治44年)広告用ポストカード
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| 澤田屋 沿革 |
| 明治44年(1911年) |
現在の澤田屋中央店の場所に早川智義が、小売部を開業。 |
| 大正6年 |
実兄塚原正義が小売部を継承。 |
| 昭和4年 |
「くろ玉」を考案、発売。
好評を博す。 |
| 昭和9年 |
三階建ビルを建設し、レストランを併設。 |
| 昭和19年 |
企業整備令施行閉鎖。 |
| 昭和20年7月 |
戦災により消失。 |
| 昭和22年3月 |
営業再開。 |
| 昭和28年2月 |
株式会社に改組。 |
| 昭和46年9月 |
本社を甲府市向町375(現在地)に移転。 |
| 会社概要 |
| 会社名 |
株式会社 澤田屋 |
| 現住所 本社・工場 |
山梨県甲府市向町375 |
| TEL |
055−235−5545 |
| 代表者氏名 |
北原 克己 代表取締役 |
| 営業年数 |
93年 |
| 営業品目 |
和・洋菓子、土産、進物、婚礼式菓子 |
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