「KURODAMA HISTORY くろ玉を知る 一幸庵 水上力氏の伝え聞き」の後編です。(前編はこちら)
くろ玉がいつ、誰の手によって作られたのか。その起源は、澤田屋の長い歴史の中で明確になってはいませんでした。
その手がかりとして、東京都小石川に店をかまえる水上力さんに会いに行きました。
水上さんのお父さまは修業時代、澤田屋で働いており、くろ玉の誕生に関わっていたと水上さんは伝え聞いていました。くろ玉のこと、そして水上さんがお父様から受け継いだ職人としての心構えもお聞きしました。
― お父様が澤田屋に修業に行くことになったきっかけはなにかあったのでしょうか? 当時の澤田屋からお父様にお声がけしたのでしょうか?
いや、ちがいますね。目白に『志むら』という菓子屋があるのですが、親父は志むらさんと仲が良くて。志むらさんが職長で澤田屋に修業に行くことが決まっていて、うちの親父はたしか一炉庵に修業に行くことになっていたんだと思います。志むらさんはどうも東京を離れるのが嫌だったらしく、山梨出身の親父が変わってあげたことで澤田屋さんに行くことになったみたいですよ。
― それはかなり運命的ですね。
うちの母ともその時の山梨で出会っていますからね。
― その当時、職業安定所から派遣されてくる職人さんや、お父様のように修業に来る方たちの技術はとても高かったと聞いています。
技術を高めるための職人同士の交流も盛んだったようですね。職人として採用されるのも、まずは杯とへらとスプーンを与えられて、何種類かの練り切りを作り、しばらくは客分として働く。それから本採用となると父からは聞きました。一ヶ所に定着しない渡りの職人は、仁義を切っていたそうです。職人が仁義を切っていた時代があったんですね。相当の実力がないとそれもできないと思うんですよ。それだけ厳しい時代に生きていた人たちと、今の時代でも職人と呼ばれる職業ではありますが、まったく別物だと思っていますよ。生き方に直結していましたね。
― 水上さんが和菓子職人になったのは、やはりお父様の影響が強いのでしょうか?
どうなんでしょうね。意識したことがないと言えば嘘になるのでしょうね。自分が菓子屋になろうと思った時に、父親が京都の仲間のお店を紹介してくれたんです。一緒に京都まで行って、その帰りに父親を京都駅まで送っていったその時に見た親父の後ろ姿が、なんというか職人の歩く後ろ姿というんでしょうか。今までこの背中で育ててくれたんだなと思ったら、もう涙が出てしまってね。これから一人で生きていくという決意ができました。それから修業に入って今に至るまで、父親の姿がずっと記憶に残っていました。饅頭作るときは、父はあんな風に動いていたなとか、頭の中に染み付いているんですよね。
自分で職人として生きていく中で、親父の動きの意味がわかってきたり、納得できることが増えてきました。だから、職人の後ろ姿は大事なんですよ。親父から直接教わったことは今でも大事にして、絶対に捨てられないですね。父親のもとでもっといろいろなことを教われば、今とはまた違うお菓子を作っていたかもしれません。昔の職人に接する機会はかけがいがなく、今ではもうそんなチャンスはないですからね。
― くろ玉を作られた方の息子さんが和菓子職人になられていて、職人としていろいろなことを国内外に伝えてらっしゃることに、とても感動しています。
伝えるということは難しいですね。わたしが今思うのは、原材料が変わっているので無理なのですが、昔の味のくろ玉を食べてみたかったなぁということです。父親を超えるということは無理でしょうけども、それに近いことが今後できればいいなと思っています。
― お父様の意志を受け継ぐということでしょうか?
親父の時代はほんとうにおいしいものさえできればよかったんだと思います。ほんとうに美味しいものはシンプルで難しい。正直、値段をつけて人様に売ってしまってはまずいようなものを出している和菓子屋もあると思っています。ほんとうに美味しいものはシンプルですが、相当の技術が必要です。業界的な話でいうと、和菓子の世界には相当な危機感を持っています。
わたしどものところに研修に来るのは、なぜか洋菓子の人が多いんですよ。基本となることをわたしどものところで覚え、それを洋菓子に活かしているんでしょうね。和菓子そのものが非日常になってしまったことを、菓子屋が自覚していないんですよね。雛祭りにケーキとかを宣伝されてそれが売れるような時代に、和菓子屋は手をこまねいているだけで。もう一度何がだめだったか和菓子屋は足下を見つめなおして検証しなおさないと、たぶんですが百年後には和菓子自体がなくなってしまうんじゃないですかね。わたしはそう思います。
あんこが嫌いな子どもが今は多いんですよ。家庭でも作る機会がなく、あんこの味を知らないまま育ってしまう。そうなると大人になっても和菓子は遠い存在ですよね。じゃあそれは誰が悪いのかと言われると、やっぱりわたしども和菓子屋が伝えるということを怠ってきたのではないかと思います。和菓子が生き残るためには、今の職人がみな2本の足で立てているのかということを自覚するしかないですね。手間も技術もかかる和菓子。ほんとうに美味しいお菓子という原点に立ち返ることが重要だと考えています。
- 前編
- 後編
一幸庵(いっこうあん)
住所: 東京都文京区小石川5-3-15 [地図]
電話: 03-5684-6591
営業時間: 10:00〜18:00(日曜・祝日定休)